ヴェルィーキ・ソローチンツィ (Velyki Sorochyntsi)
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中世にはクラスノピーリ(Краснопіль;意訳: 「美野」)と呼ばれた. 1620年代からソローチンツィ町(Сорочинці;意訳: 「四十僧村」)として知られるようになる.
1648年まではヤレーマ・ヴィシュネヴェーツィクィイ公の領土に属していたが、フメリニツキーの乱によりコサック国家へ編入された. 以後、当国のムィールホロド連隊の百人隊の中央町となった.
18世紀末にヘーチマン国家がロシア帝国に併合されると、1791年にポルタヴァ県ムィールホロド郡ソローチンツィ郷の中央町にかわった.
1900年の時点で、ソローチンツィにおいて1,514戸が存在し、8,882人が住んでいた. また、7つの学校が設置され、1年に5回ほどの大きな市(いち)が立てられた.
20世紀前半にウクライナ・ソビエト社会主義共和国の農村となり、ヴェルィーキ・ソローチンツィに改名された. 1925年から1931年までの間は、この地で銃殺されたウクライナの政治家に因んでネロノーヴィチ(Нероновичі)と呼ばれた.
1991年にウクライナがソ連から独立すると、ポルタヴァ州ムィールホロド地区に編入された.